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ロダンと碌山(碌山②)

“自分にどんな才能があるのかは自分が発見するしかない。
何か好きなことを手掛かりに、とことん努力してみるしかない。
自分の才能を生かすも殺すも自分しだい。”


碌山1867


16歳で心臓病を患った守衛(碌山)は、肉体労働が難しくなり、美しい穂高の自然の中で絵筆をとるようになります。
芸術には生命と深く関わりがあると考えた碌山は、やがて画家を目指して上京します。
多感な青年は、恋することや絵の才能があるかについて深く悩み、長いこと苦しみますが、
絵画を手掛かりにまっしぐらに突き進むだけと決心し、ニューヨーク、その後パリで勉強をします。


碌山1855


そして、パリで絵画の勉強中に、オーギュスト・ロダンの “考える人” と運命的な出合いをします。
地獄の入口で考えにふけっている姿、そして全身に思いに満ちている姿に魂を奪われ、我を忘れて動けなくなりました。
守衛は彫刻をやろうと思い、ロダンに弟子入りしました。


碌山1878
労働者 碌山作


ロダンから学んだことは、静止しているポーズのうちにも動きがなくてはならないという教えでした。
絵画で徹底的にデッサンの基礎を学んでいた守衛は、
ロダンによって目を開かれ大きく変身し、作品に生命を吹き込みました。
彫刻家碌山の誕生です。


碌山1880


碌山は32歳というあまりにも短い生涯でした。
急死を知らされたロダンは、碌山のことを「フランス人以上に自分の芸術の精神を理解してくれた」とほめ讃え、
その早すぎる死は、日本の国のためにも惜しいことだと嘆いたそうです。




つづく

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