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時代のうねり(フェルメール展②)


フェルメールの生涯と生まれ育ったオランダ・デルフトのお勉強です。ちょっと堅いお話しですが、より深く知るには時代背景は避けて通れません。備忘録につきご容赦ください。長いので、写真だけでもよかったらご覧ください(^^;)


オランダ・デルフト9195


17世紀のオランダと画家

17世紀のオランダでは、画家をめぐる状況が、他のヨーロッパ諸国と大きく異なっていました。

①スペイン・ハプスブルグ家から共和国として独立を果たし、
②カトリック(旧教)からプロテスタント(新教)を奉ずることになった。
③独立後の社会の中枢を担ったのは王侯貴族ではなく、富裕な市民階層であった。

つまり、教会と王侯貴族という二つの美術の大口注文が期待できなくなり、そうしたなか、画家は経済の動向に左右されやすい美術市場に向けて制作し、自ら買い手を開拓しなければならないという状況に置かれることになりました。


オランダ・フェルメール9100


デルフトに生まれたフェルメール

運河による水運の好立地に恵まれていたデルフトは、水産業を中心に町が繁栄しました。
しかし、フェルメールが活躍しだす17世紀半ばごろには、そうした繁栄は徐々に過去のものとなり、デルフトはオランダの表舞台から姿を消していきました。少しずつ元気をなくしていくデルフトの美術の世界にフェルメールはとどまり、静かに自らの世界と向かい合い、制作を続けました。


オランダ・フェルメール9135


フェルメール

才能ある画家として物語画家を目指しましたが、間もなくより需要の見込める風俗画家へ転身をはかりました。
たちまち頭角を現し、名声はデルフトを超えて広がり、その評価は晩年まで落ちることはありませんでした。

しかし、周囲の列強諸国が祖国の脅威となると、フェルメールの周囲にも波風が立ち始めます。
絵画に対する需要が急激に冷え込み、フェルメール一家を支えていた義理の母の財政状態も影が落ち始め、そして、オランダ全体の絵画の好みも変化しました。その苦境のなかで、フェルメールは自分のとるべき道を再び模索し始めますが、健康を害し、その道を見極める時間も十分にないまま、1675年、享年43歳でこの世を去りました。


オランダ・フェルメール9148


フェルメールの没後、作品はあっても、その名前はほとんど記録が残っていませんでした。
19世紀になると、17世紀オランダ芸術が回顧されるようになり、フランス人批評家によるフェルメールの論文発表によって、西洋美術史に名を連ねる存在へとなりました。

フェルメールの遺した作品は、僅か32~36点と言われています。。
贋作、盗難のほか、解明されていない謎も多く、その希少性も魅力の一つとなっています。
(参考資料:フェルメール生涯と作品/小林頼子著)



つづく
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